沿革
1876年(明治9年)7月 | 滋賀県立駆黴院が大津市港町に創立 |
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1877年(明治10年)4月 | 前記医院が滋賀郡松本村(現大津市松本一丁目)に新築移転 併せ医院正則医学教場を設け医師の養成をなす(貸費生60名) |
1879年(明治12年)4月 | 駆黴治療と普通患者治療を行う施設を区分 |
1886年(明治19年)4月 | 滋賀県立大津病院と改称 |
1887年(明治20年)4月 | 県立の大津病院を二分割駆黴治療する滋賀県松本病院と一般治療する大津公立病院とに分かれる |
1900年(明治33年)4月 | 日本赤十字社滋賀支部長(当時河島知事)が赤十字事業の本旨に鑑み、救護員の養成と戦時傷病兵救護の必要性を痛感され、進んで建議書を本社へ進達したこれが動機となって赤十字支部病院設立基準が制定された |
1904年(明治37年)4月 | 大津市松本一丁目において日本赤十字社滋賀支部病院として発足 内科、外科、眼科の3診療科を置き病床数60床 看護婦養成機関を置き救護員の養成も始める |
1909年(明治42年)8月 | 姉川地震災による救護活動を実施救護患者は延べ数 4,497人 |
1911年(明治44年)11月 | 病院敷地を大津市西町(大津市長等一丁目1-35)に移転 産婦人科、耳鼻咽喉科、皮膚科、小児科、歯科を順次設置全病床数124床 |
1924年(大正13年)12月 | 結核病棟を新築し24床増床結核患者の治療に努力する全病床数148床 |
1927年(昭和2年)6月 | 隔離病患者のため木造病舎を鉄筋コンクリート2階建に改装6床から14床に増床全病床数148床 |
1928年(昭和3年)12月 | 産室、妊産婦保養室を鉄筋コンクリート2階建新築し、16床増床全病床数164床 |
1930年(昭和5年)4月 | 研究棟、検査室を新築し各種の試験及び医師の研究、医学向上に寄与する |
1936年(昭和11年)4月 | 本館(鉄筋コンクリート地上3階、地下1階)を新築 東大安田講堂を設計された岸田日出刀氏が設計され国際様式の出発点というべき建物で「白亜の殿堂」と呼ばれていた一般143床、結核25床、伝染15床、産科16床となる全病床数199床 |
1943年(昭和18年)1月 | 大津赤十字病院と改称する |
1946年(昭和21年)4月 | 医師実施修練指定病院(厚生大臣指定)となり医科大学卒後臨床教育に当たる昭和40年までの間238名の実習医師を送り出す |
1946年(昭和21年)7月 | 東海道能登川駅安土駅間での列車事故で救護班3班が救護活動 |
1947年(昭和22年)6月 | 理学診療科部を設置 |
1948年(昭和23年)6月 | 北陸大地震の救護班要請を受け出動 |
1950年(昭和25年)7月 | 総合病院の承認 |
1952年(昭和27年)4月 | 結核患者の増加により結核病棟を増築し82床とする全病床数373床 |
1952年(昭和27年)5月 | 整形外科部を設置 |
1954年(昭和29年)3月 | 気管食道科部を設置 |
1954年(昭和29年)9月 | 血液需給を図るため、血液銀行を付設また、検査部を設け診療技術の進歩を図る |
1955年(昭和30年)2月 | 総合病院を冠称する |
1955年(昭和30年)8月 | 大火災発生による救護班出動要請を受け、彦根市多賀入谷地区へ出動する |
1956年(昭和31年)7月 | ソビエト地区引揚げ軍人の救護要請を受け、舞鶴港へ医師派遣 |
1956年(昭和31年)8月 | 大火災発生による救護班出動要請を受け、伊香郡中河内地区へ出動する |
1957年(昭和32年)7月 | 別館50床を新築鉄筋コンクリート地上3階建全病床数423床 |
1959年(昭和34年)10月 | 伊勢湾台風被害地救護の要請を受け、救護班を6日間派遣 |
1960年(昭和35年)7月 | 全但バス比叡山にて転落事故あり、多数患者の収容を行ったが休日中の事故救護のため、緊急に職員の招集を行いその治療に当たる |
1961年(昭和36年)2月 | 大火災発生による救護班出動要請を受け、八日市市今代町へ出動する |
1961年(昭和36年)4月 | 大火災発生による救護班出動要請を受け、彦根市河内山女原へ出動する |
1964年(昭和39年)4月 | 滋賀県知事指定の救急告示病院となる |
1966年(昭和41年)2月 | 神経精神科部を設置 |
1966年(昭和41年)4月 | 木造病棟を撤去、跡地に1号病棟鉄筋コンクリート地上5階、地下1階及び給食棟鉄筋コンクリート地上2階建を新築全病床数678床 |
1967年(昭和42年)2月 | 神経精神病棟を開設(旧産婦人科病棟を改装転用) |
1967年(昭和42年)6月 | 放射線部を設置 |
1967年(昭和42年)10月 | 泌尿器科部を設置 |
1968年(昭和43年)3月 | 救急センターを旧手術室跡に整備し設立 |
1968年(昭和43年)4月 | 入院中の小学生の修学の機会を与えるため、小児科病棟に若草学級を併設 |
1969年(昭和44年)6月 | 麻酔科部を設置 |
1969年(昭和44年)9月 | 癌治療研究部を設置 |
1970年(昭和45年)4月 | 入院中の中学生の修学の機会を与えるため、小児科病棟に青空学級を併設 |
1970年(昭和45年)11月 | 2号病棟鉄筋コンクリート地上5階建を新築 神経精神科病棟床100床及び一般病床100床を増床全病床数808床 |
1971年(昭和46年)4月 | 医師法第16条の2第1項の規程による臨床研修を行う病院となる |
1975年(昭和50年)2月 | 滋賀医科大学関連教育病院の指定を受ける 医療センターとして外来棟鉄筋コンクリート地上3階、地下1階建を新築学生臨床実習の受入体制整う |
1977年(昭和52年)7月 | 病院群輪番制病院の指定を受ける |
1978年(昭和53年)4月 | 外来棟開設により一般病床108床増床全病床数874床 |
1979年(昭和54年)6月 | リハビリテーション棟新築 |
1979年(昭和54年)7月 | 二次救急に関する国庫補助により救急センター新築 鉄筋コンクリート地上2階、地下1階建外来棟4階を増築し手術室を全面移転別館病棟老朽化のため使用休止とする |
1979年(昭和54年)8月 | 医療器械センター設置 一般病床641床、結核病床51床、精神病床185床全病床数877床 |
1981年(昭和56年)10月 | 脳神経外科部を設置 |
1982年(昭和57年)2月 | 循環器科部を設置心臓血管外科部を設置 |
1982年(昭和57年)3月 | 救命救急センター建物鉄筋コンクリート地上4階、地下1階建完成 救命救急センター開設 |
1985年(昭和60年)1月 | 呼吸器科部を設置 |
1985年(昭和60年)3月 | 本館3階結核患者を2号病棟4階に転舎し、結核病床を廃止後一般病床に変更 一般病床709床、精神病床193床全病床数902床 |
1986年(昭和61年)9月 | 救急医療の貢献により救急施設としての厚生大臣表彰を受ける |
1988年(昭和63年)7月 | 本館建築により許可病床数変更 一般病床852床、神経病床57床全病床数909床 |
1990年(平成2年)3月 | 本館完成鉄筋、鉄骨コンクリート地上10階、地下1階建 |
1990年(平成2年)7月 | 病理部、神経内科部、形成外科部を設置 |
1990年(平成2年)11月 | 一般病床の一部を特三類看護及び新生児特定集中治療(NICU)承認 |
1991年(平成3年)5月 | 信楽高原鉄道とJR列車の正面衝突事故発生救護班出動 |
1992年(平成4年)10月 | 第28回日本赤十字社医学会総会開催 |
1994年(平成6年)10月 | 開放型病床の承認(50床) |
1995年(平成7年)1月 | 阪神淡路大震災発生救護班出動 |
1997年(平成9年)1月 | 基幹災害医療センターの指定 |
1997年(平成9年)3月 | 外来棟(3号棟)一期工事完成鉄筋コンクリート地上8階、地下1階建 |
1997年(平成9年)4月 | 歯科口腔外科部を設置訪問看護ステーションを開設 |
1997年(平成9年)7月 | 1-3東内科病棟にクリーンルーム3床を開設 |
1997年(平成9年)12月 | 1-4西小児科病棟にクリーンルーム1床を開設 |
1998年(平成10年)4月 | 小児科外科部を設置 |
1998年(平成10年)6月 | 外来棟(3号棟)二期工事完成 売店・理髪店・食堂・生花店・備蓄倉庫・受水槽を整備 |
1999年(平成11年)9月 | 大津赤十字病院居宅介護支援事業所を開設 |
1999年(平成11年)10月 | 消化器科部を設置 |
2000年(平成12年)12月 | 国有財産比良病院の払受 大津赤十字志賀病院開設許可 |
2001年(平成13年)10月 | 稼働病床数の変更903床(901床から903床に) |
2001年(平成13年)12月 | 病棟全館禁煙 |
2002年(平成14年)3月 | 第1駐車場(立体駐車場)完成 |
2002年(平成14年)4月 | オーダリングシステム稼働 全科「院外処方せん」発行に移行 |
2002年(平成14年)7月 | 大津赤十字志賀病院開院 稼働病床数の変更881床(903床から881床に) |
2002年(平成14年)10月 | 回復期リハビリテーション病棟開設 |
2003年(平成15年)5月 | ご紹介患者さん受付の設置 病院機能評価訪問審査の受審 |
2003年(平成15年)6月 | 地域医療支援病院の承認 |
2003年(平成15年)8月 | 地域がん診療拠点病院の指定 |
2004年(平成16年)10月 | 新潟県中越地震救護班派遣 |
2004年(平成16年)11月 | 創立100周年記念式典開催 |
2004年(平成16年)12月 | 救命救急センター棟・2号棟改築起工式 |
2005年(平成17年)3月 | 病院施設の使用許可届出 PICU6床(改修) 滋賀県総合周産期母子医療センターの指定 1号棟2階西病棟閉鎖(41床) |
2005年(平成17年)4月 | 病床数の変更846床(一般789床・精神57床) 大津地域小児救急医療支援事業発足 |
2005年(平成17年)11月 | 病床数の変更829床(一般789床・精神40床) 新2号棟稼動 |
2006年(平成18年)4月 | 電子カルテ・DPCの稼動 |
2007年(平成19年)2月 | 病院敷地内禁煙開始 |
2007年(平成19年)3月 | 病床数の変更824床(一般784床・精神40床) 新救命救急センター稼動 |
2007年(平成19年)8月 | 教育研修推進室の設置 |
2007年(平成19年)10月 | 県下初脳死下臓器提供実施 呼吸器外科の設置 |
2008年(平成20年)2月 | 地域がん診療連携拠点病院への更新 |
2008年(平成20年)5月 | 近畿ブロック周産期広域搬送調整拠点病院の指定 |
2008年(平成20年)12月 | 滋賀県がん診療広域中核拠点病院の指定 |
2009年(平成21年)6月 | 滋賀県肝疾患診療連携拠点病院の指定 |
2009年(平成21年)8月 | 赤十字救護班派遣(兵庫県佐用町) |
2009年(平成21年)12月 | 院内保育所の新築移転 |
2010年(平成22年)1月 | 居宅介護支援事業所の休止 |
2010年(平成22年)11月 | APEC横浜災害医療派遣(DMAT) |
2011年(平成23年)1月 | 第2立体駐車場完成(5階建285台収容) |
2011年(平成23年)3月 | 東日本大震災赤十字救護班派遣 |
2011年(平成23年)4月 | 大阪府ドクターヘリとの共同運航開始 |
2012年(平成24年)7月 | 滋賀県エイズ診療拠点病院の指定 |
2013年(平成25年)3月 | 初期・二次支援緊急被ばく医療機関の指定 |
2013年(平成25年)8月 | 高度救命救急センターの指定 |
2013年(平成25年)9月 | 台風18号救護班出動(滋賀県田上) |
2014年(平成26年)1月 | 手術室増改築工事竣工 |
2014年(平成26年)2月 | 病院機能評価一般病院2 3rdG:Ver.1.0更新 |
2014年(平成26年)3月 | ホールボディカウンター設置 |
2014年(平成26年)4月 | 精神科病床の休床(精神40床) 稼働病床数の変更(一般781床) |
2014年(平成26年)9月 | 病理診断科部の設置 |
2015年(平成27年)1月 | 派遣型救急ワークステーション試験運用開始 |
2015年(平成27年)9月 | 病院ホームページ更新 |
2016年(平成28年)3月 | 許可病床数の変更(824床→796床) 通院治療センター開設 |
2016年(平成28年)4月 | 派遣型救急ワークステーション本稼働 熊本地震救護班活動 |
2018年(平成30年)1月 | 回復期リハビリテーション病床 休止(41床) 稼働病床数の変更(一般740床) |
2018年(平成30年)3月 | 大津赤十字病院訪問看護ステーション 休止 |
2018年(平成30年)6月 | 「ふれあい病院フェスタ」開催 |
2018年(平成30年)12月 | 手術支援ロボット「da Vinci Xi」導入 |
2019年(平成31年)1月 | 日本医療機能評価機構(3rdG:Ver2.0)更新 |
2019年(令和1年)6月 | ハイブリッド治療室新設 |
2020年(令和2年)7月 | 許可病床数の変更(796床→692床) 稼働病床数の変更(740床→673床) |